それは突然の話だった。
ぼくの伯父も料理業界の人で当時のレストランも紹介してくれた。ある日スイスに行かないかと勧めてきた。
正直かなり迷った。フランスでも迷っただろうが、スイス。それも小さなところらしい。
先方にも電話したり支配人に相談したり決断するのに苦労した。
スイスでは9か月過ごした。料理を修行するというより人生の厳しさを学んだ。
ここでの経験はきっと将来役に立つ日が来るだろう。
そして、僕の心にフランスに行きたいという気持ちが出てきた。
2009年5月31日日曜日
2009年5月30日土曜日
長い道のり、その1(日本編)
今日は少し自分の話をしようと思う。
今こうしてフランスで働いているわけだが、それなりに苦労もしたと思う。
現役で理系大学を卒業後、好きな料理の道に行くことにした。
専門学校には行かず、直接レストランで働いた。初めはサービス。
1年の予定だったがおもしろかったので結局2年間。いろいろなことをやらせてもらった。
ケータリングや結婚式、チーズ、ワインも勉強できた。支配人や、先輩方には感謝している。
その後同レストランの調理場に入り1年間、料理の勉強をした。
今こうしてフランスで働いているわけだが、それなりに苦労もしたと思う。
現役で理系大学を卒業後、好きな料理の道に行くことにした。
専門学校には行かず、直接レストランで働いた。初めはサービス。
1年の予定だったがおもしろかったので結局2年間。いろいろなことをやらせてもらった。
ケータリングや結婚式、チーズ、ワインも勉強できた。支配人や、先輩方には感謝している。
その後同レストランの調理場に入り1年間、料理の勉強をした。
2009年5月29日金曜日
アルボワ
少しここでアルボワについて話しておいたほうがいいだろう。
アルボワ フランスの東、フランシュコンテ州のジュラ県にある小さな町である。
人口は3000人ほど、夏場は多い時で30000人ぐらいになる。
なぜここまで人口が変わるのかというと、フランス人は結構、避暑地や海、山に別荘を持ってる人の割合が多い。季節によって住む場所を変える人が結構いる。ここアルボワもそのうちの一つだ。
アルボワと言えばまずはジュラワインだと思う。黄色ワイン(vin jaune)や藁ワイン(vin de paille)はフランスでもここだけのワインだ。
パティスリー イルサンジェ (patisserie hirsinger)も有名だ。1996年にMOFをとった4代続いている伝統のあるお店である。
レストラン ジャンポール、ジュネ(restaurant jean-paul jeunet)は今僕が働いている二つ星のレストラン 肉のセクションシェフを任されている。
コンテチーズはこの地方の名前の通り多くの町でつくられている。隣町のポリニーにコンテ博物館があるぐらいのフランスを代表するチーズの一つだと思う。
ま、大まかに説明するとこんな感じだ。そのうち細かく書いていこうと思う。
アルボワ フランスの東、フランシュコンテ州のジュラ県にある小さな町である。
人口は3000人ほど、夏場は多い時で30000人ぐらいになる。
なぜここまで人口が変わるのかというと、フランス人は結構、避暑地や海、山に別荘を持ってる人の割合が多い。季節によって住む場所を変える人が結構いる。ここアルボワもそのうちの一つだ。
アルボワと言えばまずはジュラワインだと思う。黄色ワイン(vin jaune)や藁ワイン(vin de paille)はフランスでもここだけのワインだ。
パティスリー イルサンジェ (patisserie hirsinger)も有名だ。1996年にMOFをとった4代続いている伝統のあるお店である。
レストラン ジャンポール、ジュネ(restaurant jean-paul jeunet)は今僕が働いている二つ星のレストラン 肉のセクションシェフを任されている。
コンテチーズはこの地方の名前の通り多くの町でつくられている。隣町のポリニーにコンテ博物館があるぐらいのフランスを代表するチーズの一つだと思う。
ま、大まかに説明するとこんな感じだ。そのうち細かく書いていこうと思う。
2009年5月28日木曜日
思ったよりも、、
こういう企画を先頭に立ってした経験のない僕にとって、それがここフランスでするわけだから大変だとは思っていた。どういう話し合いになるんだろうか、m,j,cの社長はどういう反応をするのだろうか。社長次第で、この祭りの規模や予算、すべてが決まると思うので失礼のないように心がけた。
結果、相手側の対応は思ったよりも乗り気であった。
僕が、半分冗談で提案した神輿を担ぐ案をたいそう気に入ったようで、来週にもう一度具体的に打ち合わせをすることになった。
今のところの予定は、11月2日から、一週間かけて様々なイベントを行うことになった。今後の方向として、まず予算の確保や、協力してくれる人を探していくことになる。
とりあえずここまでが今までの流れである。
このブログを立ち上げることになったのは父親からの“細かい内容は記録しておいたほうがいいという”アドバイスと、もともと機会があれば始めてみたかったのでこの機会にと思った。
飽きっぽい自分がどこまで続くか、少し自分との闘いのような気もする。
結果、相手側の対応は思ったよりも乗り気であった。
僕が、半分冗談で提案した神輿を担ぐ案をたいそう気に入ったようで、来週にもう一度具体的に打ち合わせをすることになった。
今のところの予定は、11月2日から、一週間かけて様々なイベントを行うことになった。今後の方向として、まず予算の確保や、協力してくれる人を探していくことになる。
とりあえずここまでが今までの流れである。
このブログを立ち上げることになったのは父親からの“細かい内容は記録しておいたほうがいいという”アドバイスと、もともと機会があれば始めてみたかったのでこの機会にと思った。
飽きっぽい自分がどこまで続くか、少し自分との闘いのような気もする。
2009年5月27日水曜日
第一回、日本祭会議
5月26日、雨天。
やはり不安だ。秘書の人は来るのだろか。
普通に時間同りに来た。何事もなかったかのようにm,j,c内部を案内してくれた。(まあ、こんな感じな人なんだな、と思っていた。)
内部はというと、日本でいうところの市民センターのような印象だった。
畳の部屋があり(ここでは週に一度、柔道と合気道のけいこが行われるらしい)、そして、裁縫室。
映写室、ワインカーブ、会議室などがあった。このぐらいのスペースがあればいろいろなことができることだろう。
少し遅れて社長がやってきた。60歳ぐらいのにこにこした人だった。
予想通り、ところどころにおやじギャグを連発する人だった。
おやじギャグというのはフランスにも存在するんだなとその場の空気が僕に語りかけた。
フランスジョークは、それでなくても難しいのにいったいどこで笑えばいいのだろう、、、。
そんなことはさておき、会議は用意した企画書を用いて行われた。
やはり不安だ。秘書の人は来るのだろか。
普通に時間同りに来た。何事もなかったかのようにm,j,c内部を案内してくれた。(まあ、こんな感じな人なんだな、と思っていた。)
内部はというと、日本でいうところの市民センターのような印象だった。
畳の部屋があり(ここでは週に一度、柔道と合気道のけいこが行われるらしい)、そして、裁縫室。
映写室、ワインカーブ、会議室などがあった。このぐらいのスペースがあればいろいろなことができることだろう。
少し遅れて社長がやってきた。60歳ぐらいのにこにこした人だった。
予想通り、ところどころにおやじギャグを連発する人だった。
おやじギャグというのはフランスにも存在するんだなとその場の空気が僕に語りかけた。
フランスジョークは、それでなくても難しいのにいったいどこで笑えばいいのだろう、、、。
そんなことはさておき、会議は用意した企画書を用いて行われた。
ストラスブール
結局一人でストラスブールに来た僕は、あまりの変わりように驚いていた。
一年ぶりとはいえ、以前来た時はまだ駅の工事中だったし、それにあまりいい思い出がなかった。
予定時間きっちりに到着。さっそく領事館の人に電話をしたところすでに駅にいるとのことだった。
久しぶりの日本人との対面に緊張したが、すぐにそんなことは忘れていろいろな話をした。
特に今回の件とは関係のない話ばかりだったが、相手の人はとても感じがよく、僕は気が楽になった。
昼食を近くのブラッセリーで済ませ、僕らは領事館へ向かった。工事中のため領事部のみの訪問になったが実に実りのあるものだった。そこには今回のようなイベント用の貸出しの着物や、はっぴ、写真や日本紹介本(フランス語翻訳)、それに駒や竹トンボ、折り紙など、僕自身懐かしいものばかりだった。彼女が言うにはこれらはすべて貸出可能だそうだ。
さて、次回こそは、m,j,cの方と来たいものだなと思いその場を後にした。
余談だが、21時発の列車待ちはかなりきつかった。
一年ぶりとはいえ、以前来た時はまだ駅の工事中だったし、それにあまりいい思い出がなかった。
予定時間きっちりに到着。さっそく領事館の人に電話をしたところすでに駅にいるとのことだった。
久しぶりの日本人との対面に緊張したが、すぐにそんなことは忘れていろいろな話をした。
特に今回の件とは関係のない話ばかりだったが、相手の人はとても感じがよく、僕は気が楽になった。
昼食を近くのブラッセリーで済ませ、僕らは領事館へ向かった。工事中のため領事部のみの訪問になったが実に実りのあるものだった。そこには今回のようなイベント用の貸出しの着物や、はっぴ、写真や日本紹介本(フランス語翻訳)、それに駒や竹トンボ、折り紙など、僕自身懐かしいものばかりだった。彼女が言うにはこれらはすべて貸出可能だそうだ。
さて、次回こそは、m,j,cの方と来たいものだなと思いその場を後にした。
余談だが、21時発の列車待ちはかなりきつかった。
フランス人と日本人
さてストラスブール行きを明後日に控えた。何事もなく領事館員の方との打ち合わせの時間を決めた。列車のチケットも買った。(通常の60パーセントで。だいぶフランスの生活にも慣れ損することがなくなった。)
しかし肝心のm,j,cの方から連絡がこない。2週間も、、、。
不安になった僕は、秘書の方に電話をしたところ、では午後にでもどこかで話をしましょうということになった。これはいったいどういうことなのか、僕はこの話自体がなかったことになるのではないかと、少し覚悟していた。
その日は5月だというのにとても暑かった。去年はこんなに暑かったかな、と思い出していた。
まあ昔のことをあまり振り返らない僕にとっては思い出せるはずもなく、日記を書くこともない僕にとって去年のことなど、、、そうそう、ここアルボワに来たのが4月29日だったからその頃か。
近くのバーで明日の件を確認したところ、社長も、行くので車で行きましょうとのことだった。ほっとした。まあこれがフランス人の性質なのかもしれない。
しかしその夜、秘書からの電話で、明日社長に重要な会議が立て続けに入ったので、行くことができないとの連絡がきた。さて、いったいどうなることやら。
しかし肝心のm,j,cの方から連絡がこない。2週間も、、、。
不安になった僕は、秘書の方に電話をしたところ、では午後にでもどこかで話をしましょうということになった。これはいったいどういうことなのか、僕はこの話自体がなかったことになるのではないかと、少し覚悟していた。
その日は5月だというのにとても暑かった。去年はこんなに暑かったかな、と思い出していた。
まあ昔のことをあまり振り返らない僕にとっては思い出せるはずもなく、日記を書くこともない僕にとって去年のことなど、、、そうそう、ここアルボワに来たのが4月29日だったからその頃か。
近くのバーで明日の件を確認したところ、社長も、行くので車で行きましょうとのことだった。ほっとした。まあこれがフランス人の性質なのかもしれない。
しかしその夜、秘書からの電話で、明日社長に重要な会議が立て続けに入ったので、行くことができないとの連絡がきた。さて、いったいどうなることやら。
壮大な計画
それから3週間余り、父親やその知人たちとのメールのやり取りが続いた。
知人たちというのは今回が僕にとっては初対面の方々である。こういう形で人との縁ができることはうれしいことだ。それに年配の方に助言を頂けるのは光栄なことでありとても勉強になる。
父親はかなりの親ばかだ。(母親もだが。)28歳になる息子からなかなか子離れ出来ていない。多分どこの家庭も大差はないと思うのだが、親からすれば子供はいつまでたっても子供のままなのだろう。
話は計画に戻る。父の知人、それは僕にとってたいそうな方々であった。フランス企業の元社長秘書。外資系企業の元社長。国際通訳家。領事館員。作家。
さらに話を膨らませていく父親に対して僕はSTOPをかけた。
なぜなら僕らがいくら話を進めたところで肝心のm,j,cの方々とまだ話が進んでいないからだ。
まず僕はm,j,cの方々とストラスブールにある日本領事館に行くことにした。
予定日は5月19日。まだ3週間も先のことだったが、先方にはその旨を伝え、是非にとのことだった。
この時僕はこれで少しは話が進んでいくのだろうと、ほっと肩を下ろした。
知人たちというのは今回が僕にとっては初対面の方々である。こういう形で人との縁ができることはうれしいことだ。それに年配の方に助言を頂けるのは光栄なことでありとても勉強になる。
父親はかなりの親ばかだ。(母親もだが。)28歳になる息子からなかなか子離れ出来ていない。多分どこの家庭も大差はないと思うのだが、親からすれば子供はいつまでたっても子供のままなのだろう。
話は計画に戻る。父の知人、それは僕にとってたいそうな方々であった。フランス企業の元社長秘書。外資系企業の元社長。国際通訳家。領事館員。作家。
さらに話を膨らませていく父親に対して僕はSTOPをかけた。
なぜなら僕らがいくら話を進めたところで肝心のm,j,cの方々とまだ話が進んでいないからだ。
まず僕はm,j,cの方々とストラスブールにある日本領事館に行くことにした。
予定日は5月19日。まだ3週間も先のことだったが、先方にはその旨を伝え、是非にとのことだった。
この時僕はこれで少しは話が進んでいくのだろうと、ほっと肩を下ろした。
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